いつまでもナイトでいてね


 燕は(燕はね、話すとき自分の名前を言うの。変かな……えへへ)、翼ちゃんの双子で、その妹なの。
 産まれてから死ぬときまで、ずっとそのままがいいの。
 でね、翼ちゃんは燕のナイトなの。えへ、えへへ。やだ、照れちゃうの。
 子供の頃から人見知りの強かった燕を、ずっと守ってくれたの。
 なんでかな……考えても分かんないの。
 えへへ……でもずっと一緒にいてくれて。
 おっきなお犬さんに吼えられて泣いてると、翼ちゃんが怒って吼えて。
 恐い男の人に声をかけられて泣いてると、翼ちゃんが追い払ってくれて。
 大きくて強そうな人でも、翼ちゃんにかかると目じゃないの。
 ボコッ、ボコッって。
 はぁ……翼ちゃん、格好良くて……泣いてるのに、つい見惚れちゃうの。
 ……でも。
 ……でも迷惑じゃないかな、本当は喧嘩なんかしたくないんじゃないかな……。
 ……燕と……一緒じゃ嫌なのかな……。
 このところ、翼ちゃんが物思いに耽ることがあるような気がして、とても寂しいの。
 さっきだってそうだった……。
「……翼ちゃん?」
「え、え、え? な、なに?」
 はっ、としたように燕を見て、翼ちゃんはぎこちなく微笑むの。
「……部室……こっちじゃないよ?」
「あ、あははっ、そ、そうだったよね、うんうん」
「……なにか考えてたの……?」
「ちょ、ちょっとね」
 翼ちゃんの語尾が不自然に上擦る。
 こういうときの翼ちゃんは、なにかを誤魔化したいか、隠しておきたいときなの。
 ……なにを隠されてるかも分かんないのに、燕は悲しくなるの。
「そ、それじゃあ、ボク部活に行くから」
「……う、うん」
「遅くなるかもしれないけど、夕ご飯は食べるから、ってみーちゃんに言っておいてくれる?」
「……うん、分かった」
「いい、気をつけて帰るんだからね?」
「……ありがと、翼ちゃん……」
 翼ちゃんが部活とかで燕が一人で帰るとき、翼ちゃんは口癖のようにこう言うの。
 お姉さんっていうより、お母さんみたいなの。
 その一言で燕の心は温かくなって、足取りも軽く家に戻るの。寄り道は一切しないで。
 だって、翼ちゃんがいないと燕はなにも出来ないから。
 家に帰って、美影さんとありさお姉ちゃんに挨拶してから、部屋で一人になる。
 こんなときに考えることはいつも一緒なの。
 翼ちゃん、早く帰ってきてくれないかなぁ……って。
「たっだいま〜」
 えへへ……その声を聞いただけで、燕の頬は緩んじゃうの。
 そしてお夕食。
 燕は食べるのがゆっくりだから、いつも遅くなるんだけど、翼ちゃんたちは待ってくれる。
「つーちゃん、少し相談したいことがあるんだけど、これからおっけ?」
「……相談?」
「あ、時間がなかったらいいよ、別に」
 ……? なんだか翼ちゃん、さっきの翼ちゃんと同じに思えるの。
「……ううん、燕は構わないよ……」
「ほんと? ありがとっ」
 そわそわして見える翼ちゃんの後ろについて、翼ちゃんの部屋に行ったの。
 そして丸テーブルを挟んで座ったんだけど、やっぱり翼ちゃんの様子はおかしいままなの。
「で、ね、ちょっと相談なんだけど」
「……うん」
「ふぅ……」
「……翼ちゃん……?」
「へ、へ?」
「……言いにくいこと……?」
「い、いや、まあなんちゅうか」
「そ、そのね、ボクにも春がきたのかなって」
「……ぇ……」
 ……春? 春って……。
「は、春だよ、春」
「……あ……」
「う、うん、そういうこと」
「…………」
 春……つまり恋人が……出来かけてる……ってこと?
 そ、そんな……どうして、どうして……?
「……いつ?」
「今日だよ。つーちゃんと別れたすぐあと」
「……どんな人?」
「は、初めてあったから分かんないよ。下級生みたいだったけど」
「……そう……」
 燕と別れてから、そんなことがあったの?
 それで翼ちゃんはどう思ってるの?
 燕はそれだけが気になって、いつになく翼ちゃんを質問攻めにしてしまう。
「つ、つーちゃんはどう思う? この話」
 どうもこうもないの、だって燕は翼ちゃんだけなのに。
「……燕……燕はね……」
「う、うん?」
 最悪なの、そう答えようとした瞬間、燕の脳裏に翼ちゃんの悲しそうな顔が映ったの。
 嫌……それは見たくない。
 その思いが、燕にこう答えさせたの。
「……良かったね」
「あ、あははっ、まだいいかどうか分かんないけどね」
「……ううん……きっと大丈夫だよ……」
「も、もう、つーちゃんってば」
「……っ……っ……じゃ、じゃあ、燕お風呂に入ってくるね……」
 翼ちゃんの顔を見られないほど、燕の目から涙が零れてくる。
 誤魔化すように立ち上がったの。
「つ、つーちゃんっ」
「ありがとね、なんだかすっとしたよ」
「……ううん、いいの……」
 それだけなんとか言って、燕はお風呂場に走ったの。
 馬鹿、馬鹿、燕の馬鹿……。
 手の平に零れてくる涙の数と同じくらい、そう繰り返したの。
「……ぅ……ぅぅ……」
 お湯で何回も顔を洗っても、涙は止まってくれない。
 こんなに泣いたの、あのとき以来なの。
『つーちゃん、つーちゃん、初恋って知ってる?』
『……えっ?』
『は、つ、こ、い、だよ。知ってる?』
『……つ、燕……し、知らない……』
『あははっ、じゃあ教えてあげよっか?』
『……ぇ……』
『ボ、ボクさぁ、なんだか初恋しちゃったみたいなんだ、うん』
『…………』
『で、でね、ボク……い、言っちゃおうと思うんだ』
『…………』
『ど、どう思う?』
『……良かった……ね』
 そんな風に言うつもりはなかったの。
 ……やめて。そんなことやめて。
 そう言いたかったのに。
 お風呂から出たその足で、明かりのついた翼ちゃんの部屋に入る。
「くか〜、すか〜」
 翼ちゃんは疲れちゃったのか、服も着替えないで寝ていた。
「…………」
「……翼……ちゃん……」
 本当に……その人と付き合うの?
 そしたら燕はどうすればいいの?
 翼ちゃんの寝顔を見てるだけで、新しい涙が燕の頬を伝ったの。
 ……そして燕の悪い予感は当たっちゃったの。
 翼ちゃんはあれから半月、すっかり燕を見てくれなくなった。
 翼ちゃんの帰りを、ぽつんとベッドに座って待つ時間が多くなる。
 ……多分、山科(やましな)っていうあの人と……会ってるんだろうけど。
「燕さん、なにか悩み事でもあるのですか? 家族なんですから、なんでも話してくれていいんですよ?」
「燕ちゃん〜、ヒマヒマなお姉さんと遊んで〜」
 翼ちゃんと一緒にいられるときは、まだ明るくしていられるけど、一人でいるときは駄目なの。
 数日と耐えられなかった。
 美影さんやありさお姉ちゃんは心配してくれるけど、燕はいらないの。
 燕が欲しいのは翼ちゃんの心だけ。
 今はただ……その心が燕から離れていくのが恐いの。
 でも、その声は翼ちゃんに届かない。
 いつもいつも、山科っていう人との出来事を話してくる。
 燕は嫌って言えないから、聞きたくないそれを聞いちゃうの。
「でね、でね、すごかったんだってばぁ」
「……うん」
「男の人の部屋って汚い、って思ってたけど、全然違ったよ」
「……そう……」
「やっぱりボクが行く前に片付けてたのかなぁ」
「…………」
「あははっ、可愛いとこあるよね〜、山科君って」
 ……可愛い? なんでそこまで言えるの?
 その人は……その人は燕じゃないのにっ!
「……っ!」
 初めて歯をギリッと噛んだと思ったときには、テーブルを両手で叩いていた。
「つ、つーちゃん?」
「……な……んで……」
「えっ?」
「……なんで……今さら……男なの……?」
「な、なんでって、つーちゃんなに言ってるの?」
「翼ちゃんは男なんか見ないでっ!」
 あのとき、翼ちゃんがフラ……れてなかったら、絶対に言ったと思う言葉。
 翼ちゃんのことをなにも知らない男。
 翼ちゃんのことをなにも分かろうとしない男。
 そんな人に、燕の翼ちゃんを取られたくないのっ! 
「どうしてそんなこと言うのよっ!」
「……っ」
 でも、それを声にしない限り、翼ちゃんに燕の心は届かない。
 過去、数えるくらいしか燕に向けられたことのない怒声が、正面から向けられてくる。
「そ、そんなこと、つーちゃんには関係ないでしょっ!?」
「……か、関係あるの……」
「だからって、どうしてそんなこと言うのっ? ボクが男の子と付き合っちゃ悪いの?」
「……そ……そんなこと……」
「言ってるっ! 絶対、言ってるっ!」
 これっぽっちも思ってないの。
 翼ちゃんを傷つけるようなこと……燕が考えるはずないのに。
 そのことを知ってるのは……翼ちゃんだけなのに。
「つーちゃんはいいよ、黙ってても男の子に持て囃されてさっ!」
「それでも恐がって、ボクを頼って……」
「で、でもボクは、こういうこと滅多にないのっ! ないんだからっ!」
「……な、なら……なんで、あのとき……燕を抱いたの……?」
「えっ……?」
 翼ちゃんの表情から一瞬、怒気が消える。
 それはもう暗黙の了解のようなもの。
 口に出さないで、そっとしまっておこうと決めていたもの。
「……は、初めて抱いてくれたとき……翼ちゃん言ってくれた……」
「……もう男の子なんか見たくない、つーちゃんだけを見るって……」
「そ、それは……」
 翼ちゃんの初恋が破れた日、燕は押し倒されたの。
 最初はなにが起こったのか分からなくて抵抗したけど、翼ちゃんの震える身体と言葉に、いつしか身を任せたの。
 いつも燕を守ってくれる翼ちゃんだから。
 燕をあげても、後悔は絶対しないって。
「……あ、あのときの翼ちゃんは……嘘だったの……?」
「ち、違っ!」
「……あの肌の温もりは……優しく抱きしめくれたのは……」
「ち、違うっ! 違うってばっ!」
「そ、そんなんじゃ、そんなんじゃないよっ!」
 ……あ……。
 翼ちゃんが燕を抱きすくめ、力いっぱい抱きしめてくる。
「……そんなんじゃ……ない……よ」
「……翼……ちゃん……」
「ただ……たださ」
「最近、思ってたんだ。このままでいいのかなって」
「……つ、燕は翼ちゃんと……」
「うん、分かってる、それは分かってるよ」
「でもさ、考えてもみてよ」
「ボクたち、双子で、家族で、女の子同士なんだよ?」
「これから大人になれば、なにかと……やばいこともあるでしょ?」
 そんなこと、考えたこともなかった。
 燕はただ翼ちゃんと一緒にいたいだけだったから。
 でも……翼ちゃんの言うことは当たってるの。
「……う……ん……」
「だからさ、本音的にはこのままがいいんだけど、理性のどこかでは、つーちゃんを代わりに守ってくれる人が現れた方がいいんじゃないか」
「そのときになったら、ボクはひとりぽっちになっちゃう」
「だ、だったら、その前に……その前に……」
「……っ……そ、そう、ボクは思っ……たんだよ……」
「……翼ちゃん……」
「そ、それにね、気づいてたかもしんないけど」
「ボク、やっぱり心の奥底で未練があったんだよ。男の子に」
「……うん……知ってた……」
 それまで絶対にスカートを穿こうとしなかった翼ちゃんが、その日を境に少しずつ穿くようになったの。
 言葉遣いも、仕草も、好みも……見違えるくらい。
「……翼ちゃん……あのときから、ずっと綺麗になったから……」
「や、やだな、綺麗になんかなってないよ」
「……ううん……」
「……燕……どんどん好きになっちゃったから……」
「つーちゃん……」
「……翼ちゃん……」
 もし……。
 もし翼ちゃんが燕を必要としなくなったら。
 そのときには潔く身を引くべきだと思う。
 だって……燕はどんなになっても、翼ちゃんの妹でいられるんだもの。
 その夜は、翼ちゃんの腕に包まれて、安心のうちに眠りについた。
「……あふ……」
 朝、目覚める。
 隣では翼ちゃんが気持ち良さそうに眠っているの。
 その綺麗な寝顔を見てると、昨夜心に決めたことを少しだけ後悔してしまう。
 誰にも渡したくない……燕だけの側にいて欲しい。
 どうしてもそう思ってしまうの。
「……翼ちゃん、翼ちゃん……」
「……ん……」
「……起きて……朝なの……」
「朝……う……ふあぁぁぁぁ……」
「おはよ、つーちゃん」
「……うん……おはよう、翼ちゃん」
「今日もいい天気になりそうだねぇ、うん」
「……あ、あのね……翼ちゃん……」
「うん?」
「……あ、あの、つ、燕……燕……」
「??」
「……い、一緒に……いてくれるだけでいいの……」
「えっ?」
「……い、一緒にいてくれるだけでいいから、あ、あとは翼ちゃんの自由に……」
 ……だ、だめだめ……もっとはっきり言わなくちゃ。
 な、泣いて言ったりしたら、翼ちゃんが『うん』って頷くわけないのに。
 そう言い聞かせても、心と正対する言葉は、燕を締めつけるの。
「……ぅ、ぅぅ……だ、だから……」
「つーちゃんっ♪」
 突然起き上がった翼ちゃんが、燕に頬擦りしてくる。
「ふ、ふゃっ?」
「つーちゃん、つーちゃん」
「……つ、翼ちゃん……?」
「断るよ」
「……え……?」
「仁科君のことは断る」
「……え……で、でも……」
「ねね、どうしてだか分かる?」
「……え、えと……ううん……」
「えっへっへ」
「なんでかってぇと」
「ボクはつーちゃんの騎士だからだよっ」
 じゃあ……じゃあ……これからも一緒にいてくれるの?
 燕の側にいてくれるの?
 迷惑……じゃないの?
 ああ……良かったの……嬉しいの。
 燕は翼ちゃんだけなの、ずっと。
 だから、だからこれからもよろしくお願いします。
 燕の素敵なナイトさん。